1.旅立ち-3

 

「――山口。山口!」
 はっと顔を上げると、友人の金敷剣也が覗き込んでいた。
「授業終わったぜ。まったく、授業中に寝るなんて非常識だぜ。今6年生がどんな思いでいるか――」
 そんな大人ぶった説教なんてしなくてもいいだろうに。山口周は溜め息をついた。
 確かにそうだ。名門中の名門である此の予備校でいねむりをするなんて、授業に追いつけなくなる。何を馬鹿やっていたんだろうか。
 けれど――今日はいつもと何処か違うような気がしていた。気がついたら寝ていた。睡魔と闘うような時がなかった。ただ、リィーン……という鈴の音と共に、何かに誘われたような気はした。それも睡魔との戦いに入るのならば話は別だが。
 しかし、本当に僕は眠っていたのだろうか。
「おい金敷。今の授業のノート見せてくれよ」
「おう、いいぜ」
 と金敷は快く引き受けたように見えたが、心の中では嘲笑(あざわら)っているにちがいない。次の獲物が現れるまで、語り草にされることも間違いない。
「おい山口!」
 物思いにふけっていた周は、再び金敷の声によって我に返った。金敷が差し出す理科のノートを受け取り、眼を通す。
(やっぱり……)
 最後まで授業でノートを写していた金敷のノートと同じところまで、周のノートも板書がされていた。
「さんきゅ」
 とそれだけ言ってノートを返した周に、金敷は怪訝そうな顔をした。
「ノート写さないのか?」
「ああ、大丈夫。それより、次音楽だろ? 教室移動だ、急げ!」
 周は話題を変えると、音楽の授業の支度を始めた。

 

「なあ〜山口〜、ど〜してそんなにお前は歌が上手いんだよ〜」
 金敷にまとわりつかれ、周は苦い顔をした。
「ど〜してって……普通だっつの」
「ハッ! 憎いね〜」
 金敷はケラケラと笑った。周はムッとした。プライドが高い周にとって、其れは許されない行為だった。
「ああ、もう、悪かったよ! 機嫌直せよー」
 楽観的に笑う金敷に、周はさらにムクれた。
 その時、
「おうい、剣也! 山口!」
 もう一人、少年がやってきた。金敷の自称親友、松本孝(たかし)である。
「孝! どうした?」
「いや、面白いモノ見つけたんだけど」
「面白いモノ? 何それ?」
「見たいか?」
「うーんモノによって」
「じゃあ見てのお楽しみってことで」
 周はすっかり取り残されてしまった。
「行こうぜ。おい、山口も来い」
「は?」
 高スピードで進んでいく会話に追いつけなかった周は、間の抜けた返事しかできなかった。
 もう少し上手い返事を返していれば。周は直後に悔(く)やむことになる。
 幸か不幸か、
「来いっつってんだろ!」
 松本が爆発した。その剣幕に怯(ひる)んだ周の腕を掴み、
「いいから来い!」
「イてててて、何だよ!」
 周は無駄な抵抗を試(こころ)みる。
「離せよ! 離せ〜〜〜!!」


「ここだよ」
 松本が指差したのは、壁に埋め込まれている鏡だった。ちなみに其処は、校長室前。
「何にもないじゃん。ただの鏡だろ?」
 金敷が言うと、松本は気味悪く笑った。
「この『校長先生の鏡』は――」
 『校長先生の鏡』と呼ばれている所以(ゆえん)は、毎朝毎晩、いやむしろ一日中、校長が自分の姿を映し、其れを眺めて満足している、という実話である。
「――なんと、不思議の鏡だったのであーる!」
「はあ!?」
 何だそりゃ、と周と金敷の声がハモる。
「証拠は?」
「証拠は……」
 松本は、鏡に向かい、手を伸ばす。
 その指先は、鏡に吸い込まれた。
「!?」
 ご丁寧に、波紋までできている。
「すげー」
「だろー?」
 胸を張り指を抜いた松本の次は、金敷が足を突っ込んだ。
「本当だ!」
「というわけで……」

 リィーン――――

(あっ)
 鈴の音と共に、周をかるい頭痛が襲った。こめかみを押さえた彼は、金敷らが意地悪く笑うのに気付かない。
「山口、テメエだよ」
 顔を上げた周は、背後から松本に押し倒された。
 リィーン。
(くっ、まただ!)
 金敷と松本の蹴りと頭痛に顔をゆがませる。
「最近、イライラしてたんだよねえ」
 リィーン。
「お前、学年一に伸(の)し上がってきたもんなー」
「いわゆるー、嫉妬、ってやつだよー」
 痛みから気を逸(そ)らす為、周は鈴の音に耳を澄ませた。聴いた者を苦しみから解放させてくれるような、何処か懐かしい響き。
「お前、ウザいんだよなー」
「消えろ」
 ドン、と。
 松本が押した周の体は、鏡に吸い込まれていった。
 それと同時。
 リィ――――――ン……

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ルゥーカス
隣り合わせの世界

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