2.出会い-2
麻耶は素直に匠(正確にはその眼)をじっと見つめた。涙でうるんだ瞳が匠を直視。思春期真っ最中の少年は、其の瞳(とパジャマ効果もあるのだろうか)に胸をドキドキと弾ませた。匠は耳まで真っ赤っ赤になって、麻耶を凝視した。
しばらく二人は見つめ合い、其の沈黙は麻耶によって破られた。再度秦に顔を隠した麻耶がボソリと、
「でも、やっぱり、怖い……」
「でも、大丈夫だろ?」
「うん」
隠れていた麻耶はピョコリと兎のように飛び出してきて、
「如月麻耶ですっ、怖がったりして、すみませんでしたっ」
と言いながら頭を下げた。匠ももう一度自己紹介する。
「俺は、五十嵐匠。フィーバとか何とか呼ばれる時もあるけどそっちは忘れてくれ。匠のほうがありがたい」
どうも、と会釈する匠を見た麻耶が、何を思ったかプッと吹き出した。
「私も、もう一つの名前があるよ」
「は?」
と声をあげたのは秦。
「レルアっていうの」
「いいなあ、レルア? 響きがキレイで」
「麻耶、そんなの何処で」
「え……」
麻耶は戸惑ったように口ごもり、そして躊躇(ためら)うように口を開いた。
「此処に、来る時。レルア、って、私を呼んだ」
「誰が?」
「そういえば、誰だろう。私を呼んだの……」
本当に、分からないようだった。うつむいて、記憶の中を必死に探しているのに見つからない。麻耶の顔は、だんだん青ざめていく。
「どうして……どうして、私をレルアと呼ぶの? 私の名前は……私の本当の名前は何? 麻耶? レルア? 分からない……っ!」
「落ち着け、麻耶!」
秦は焦った。本気で焦った。麻耶の瞳は焦点があっていない。輝きが、失われていく。あの時のように。
「麻耶! 麻耶! どうしたんだよ、落ち着け!」
「麻耶!? 何言ってんだよ、お前がレルアなら俺はフィーバだし、秦は……分かんねェけど兎に角正気を取り戻せえ〜〜〜!!」
秦と共に匠まで闇雲に叫ぶと、麻耶の瞳の焦点があう。現状(いま)を見つめる。涙が浮かび上がる。
「わ、わたし……」
「大丈夫。大丈夫」
二人の少年は、一人の少女を慰(なぐさ)める。
「此処は…………何処だあああぁぁ〜〜〜!!」
草原の真ん中で、少年が叫ぶ。名門予備校(初等部)の制服を着た、彼こそが山口周。
「ったく……人っ子一人いないじゃないか!」
周が門をくぐって到着する直前のこと、五十嵐匠は崖から飛び降りた。彼が風の精霊達と会話している間に、周が現れた。つまり、周の目には匠は映らない。イコール自分一人。
「おぉ〜い、誰か居ないのかあ〜!?」
叫べど、返事は皆無。
「居ないのかよ? 何だよ此の草! 邪魔だ! っつーかにくい程爽やかすぎるって此の光景は! 嫌になる!」
悪口雑言をわめき散らし、仕様がないので歩き出す。
――が。
「どっちに行けばいいんだあああ――!!」
ふわりと体が浮く感覚がして、美亜はやわらかいモノの上に落ちた。
「っ! いったたたた……」
其れは、白い白い毛並み。とてもやわらかく、ぬくもりがあって、毛布代わりにもなりそうだ。
美亜はそっと起き上がった。彼、あるいは彼女を起こさないように。
「!?」
そして彼、あるいは彼女を見たとたん、美亜は声にならない悲鳴をあげた。
白い狐。
なのだが、体中に奇怪な紋章が張り巡らされていた。其れは淡い紫色に発光する。
「こりゃあ驚きだな」
呆然として美亜が呟いたとたん、狐の体がぼやけた。其れはみるみるうちに形を変え、美亜と同年代の少女の姿になった。
「え……」
動けないでいる美亜をよそに、少女はピクリと体を震わせ、眼を覚ました。
「ん……あ」
美亜と少女の視線が合う。二人はしばし見つめ合い、あたふたと少女が起き上がるまで約十秒。
「どうも、こんにちは」
「あ……こんにちは」
美亜は挨拶を返し、訊いた。
「私、藤川美亜。中学三年生。君は?」
「菊池瀬奈です。よろしくお願いします」
いやいやいやいや。そんな几帳面に頭を下げられても困るんですけど。美亜は苦笑した。
「ところで、」
「はい?」
「瀬奈ちゃんは、なんでこんな所に?」
自分でも訳の分からないままこの草原に来てしまったので、瀬奈にも分かるとは限らなかったが、
「……あれ? どうしてだっけ……?」
案の定、というより、それ以上に頼りない答えが返ってきた。
「どうしてって……?」
瀬奈は、あれ? あれ? と三十秒ぐらい考え、
「……なんででしたっけ?」
「いや、私に聞かれても……」
くるっとふりむいて美亜に訊き返した。美亜の方は、自分が訊いたことをそのまま自分に返され、
(わかんないから訊いたんだけどな……)
と、この少女の天然っぷりにさっそく気がつき、軽くこめかみを押さえた。
「もしかして……覚えてない……とか?」
美亜が軽い頭痛と不安を覚えながら訊くと、瀬奈はこくこくと首を縦に、二回ほどふった。
(どうしよ……というか、なんでこんな所に……)
美亜が不安と疑問を胸の内に浮かべる中、
(うわあー……きれいな草原だー。一回こんな所に来てみたかったんだー。すごーい……)
……瀬奈は相変わらずの天然っぷりだった。